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神様の悪戯か?

 投稿者:下城 雄三  投稿日:2017年 8月15日(火)17時24分9秒
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  8月12日午後6時発の羽田発伊丹行き便、離陸後機内の与圧装置にトラブル発生、
酸素マスクが落ちてきました、機長は羽田に引き返すことを決定!ここまでは
32年前の御巣鷹事故を想い出す状況ですが、これは先週12日にANA便で起きた
ことです。32年前のJAL便とは違って無事に羽田にATB(Air Turn Back)しました。

私はテレビでこのニュースを知った時にはゾッとしました。JAL便が32年前の
8月12日に起こした悲劇と途中まで状況が同じとは、神様の悪戯か?と感じました。
昔と違って、複数の旅客が動画で撮っていて機内の様子を知ることが出来ました。
客室乗務員は機内放送も含めて落ち着いた対応をしていたようです。ひょっとして
32年前のことを知らなかったから冷静だったのかもしれません。私がもし乗っていたら
間違いなくパニックに陥っていたでしょう。だって状況が似すぎているんだもの...。
いずれにしてもANA便は無事に羽田に戻れて本当に良かったと思います。
 
 

耳が・・・

 投稿者:上野俊彦  投稿日:2017年 8月15日(火)09時10分3秒
返信・引用
  居間でテレビをつけたまま本を読んでいたら“松山選手が結婚したことが発表されました。お相手はチンパンジーです”というニュースが聞こえてきた。ゴルフの松山選手は肉体といい並外れた能力といい確かに人間離れしたものを持っている。それにしても結婚相手がチンパンジーというのはどういうことか、と視線をテレビに向けると“松山選手が一般人と結婚”という字幕が映し出されていた。一般人とチンパンジー、確かに発音は似ている。一瞬アナウンサーの発音の悪さを責めようと思ったが多分私の耳が悪くなったのだろうと常識的な結論に落ち着いた。  

召天と昇天と亀

 投稿者:下城 雄三  投稿日:2017年 8月12日(土)23時55分25秒
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  「召天」と「昇天」に気付いたのは、ひょんなことがキッカケでした。
8月初旬にペットの亀が死にました。年齢は不詳でしたが我家に来たのは
30年以上前です。亀は万年と言われてますので我家に来た時は9970才だったのかも。
区役所にお願いして火葬埋葬をしてもらいました。しばらく我家は喪中です。
黒枠の写真を作成し、文章を入れる時に「しょうてん」を変換したら「召天」と
「昇天」が出てきて気付きました。日野原先生の召天と亀の死...不謹慎でスミマセン。

社内用語は英語という会社も出てきているそうですが「大事なことは日本語でお願いします」
が陰でささやかれている声とか。
 

私に言われると かえって気にする 下城さん?

 投稿者:田上 健  投稿日:2017年 8月11日(金)15時30分27秒
返信・引用
  確かにプロテスタントは亡くなることを「召天」と言います。「昇天」はキリストが天に昇るという意味ですが、あくまでも日本語の上でのことです。「焦点」「商店」「笑点」「衝天」「賞典」、、、同じ発音でアクセントが前にあるか後ろにあるかの多少の違いはあるかも知れません。日本に留学して学ぼうとする若い人達が増えないのは「日本語」の難しさでは、、、「象形文字」と「表音文字」。前者には「書道」などという毛筆で書き、墨の濃淡、かすれ、余白などと「美術」まで発展したものもあります。英語のアルファベットにはありますか?私は分かりませんが、海外駐在の経験のある皆さん教えてください。社内用語は英語という会社も出てきているそうですね。抵抗する人もまだまだ多いのでは、、、私は七月に妹が帰国し少し英語に触れる機会がありました。妹の亡夫(メリーランド大学卒)は二世で日本語は全く話せませんでした。妹は在米生活40年超で、内19年を共同通信ワシントン支局に勤務、日本の年金が無いので、米国籍を取得し、余生をワイキキで送っています。私の従姉兄達も二世で既に皆高齢者です。スタンフォード大学卒でドイツ系アメリカ人女性と結婚したのもいます、従姉の子供でケンブリッジ大学で講義をしているのもいるそうですが、、今となっては、、、
加齢により話が長くなりました。
 

下城さん 気にすることないですよ

 投稿者:田上 健  投稿日:2017年 8月 4日(金)19時27分55秒
返信・引用
  プロテスタント教会では「召天」という言葉を使っていますが、私は何も考えずに使ったのですから、、最近エイッと投稿した後、文章の間違いに気が付くことが多くなりました。加齢によるよるものと自分を納得させ、反省の色全く無しです。さて長橋さんが日野原記念上尾栄光教会での自己紹介で受験に失敗して立教に入ったと言っていますが、他の志望校に入っていたら今日の長橋さんはなかったと私は勝手に思っています。私は遊び呆けた四年間ではありましたが、他の大学に入れてもらわなくて良かったとつくづく心底思っている今日この頃です。皆さんのおかげです、お世辞ではありません。御礼まで。  

失礼しました

 投稿者:下城 雄三  投稿日:2017年 8月 4日(金)11時08分19秒
返信・引用
  田上さん、失礼しました、間違えました。
日野原先生は「召天」されたんですね。昇天とはちょっと違います。
今、気付きました。天に召されたんですね。
昇天をクリスチャンらしい表現などと書いてしまいました。
こんなミスをするようになった自分が情けないです。
或いは、ようやく人並みになったということでしょうか。(謙虚さが不足?)

いずれにしても大変失礼しました、お詫びして訂正します。
 

長橋氏からBilly Joelまで

 投稿者:下城 雄三  投稿日:2017年 7月31日(月)11時07分2秒
返信・引用
  田上さんの日野原重明さん昇天の書込みからの流れが良いですねぇ。
「昇天」とはクリスチャンの田上さんらしい表現で感心しました。
続いて上野さん、高辻さんが長橋さんの学生時代や欧州時代のエピソードを
紹介してくれて、彼の人柄を再確認出来ました。
パリからわざわざロンドンまで出かけた高辻さんも偉い!
佐々木さんがBilly Joelへと話題を展開し、プレゼン冒頭にJust the way you are
を流したという米国ならではの武勇伝を紹介してくれました。
youtubeで久しぶりにBilly Joelを聴きました。50年位前、アメリカの大都会の
どの街角にも彼のポスターがあったのを思い出しました。
私は彼の「Honesty」が好きですが、この曲については当掲示板の創始者、
高田有三君が亡くなる数年前の懐かしいエピソードがあります:
私の家内が「Honesty」を「On A Steel」と聞き違えたんだよと彼に言ったら
「それはすごい、実は私にもそう聞こえました。奥様のヒアリングは素晴らしい!」
と嬉しそうに話してくれました。音楽っていろんな事を思い出させてくれますね。

 尚、43年卒のバオバブの皆さんにはメールでこの4丁目の会を改めて紹介し、
50年経っても後輩が覚えている長橋さんとのエピソードを読んで、
チェアマンだった彼が後輩達にとってどんな存在であったか知れて面白いよと伝えました。
Are you all out for English ? が出てきたのには驚いたと思います。

 

昔は面白かった

 投稿者:佐々木公一  投稿日:2017年 7月30日(日)23時24分16秒
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  田上さん、お風呂のおならと聞こえたBilly の名曲のお話より思い出しました。Billy Joel自身プロデュースの唯一のアルバム「ニューヨーク物語」1975年発表に収められた4枚目のアルバムから翌年シングルカットされ後になってから長期にわたりヒットした「New York State of Mind、ニューヨークの想い」。翌1977年発表のアルバム「The Stranger」が大ヒットとなりシングルカット曲の"Just the way you are"1978年1月にシカゴ赴任した小生にとって、どちらも大変に懐かしさを覚える曲です。まるで事情の分からぬ国で雪に閉ざされた事務所の中で所員がデスクにラジオを乗せて好きなFM音楽放送を聞いている。私も自分の部屋に小型ラジオを持ち込んでいました。流れてくる曲は何故か同じ。微かにBilly Joelという名前が耳に残る。当時流行っているらしいことは想像できましたが、Billyさんがどの程度の歌手なのか、Singer Song Writer?ピアノを弾いている?小坂明子か?布施明とか沢田研二と言ってくれれば様子が想定できるのですが、Billy Joelと言われてもGoogleもYahooも存在しない時代、何が何だか想像もつきません。それでも曲はほぼ毎日どこかの局で流れていたのか、しっかり耳に残っておりました。この時から20年近く経ったセールスミーティングでアメリカ人相手に30分ほどのプレゼンを行いました。Power Pointを準備したのですが最初の1分間程何の説明もせず、Just the way you areを流してからプレゼン開始をしたことを思い出しました。プレゼン内容でなく「イントロがとても良かった」と褒められたのか馬鹿にされたの判然としない言葉を貰いました。こんなプレゼン、日本では許されませんね。今の昔も。古き良き時代の思い出でした。

https://www.youtube.com/watch?v=30yU6CtlWV8

 

補足説明 牧師、伝道師?

 投稿者:田上 健  投稿日:2017年 7月29日(土)05時39分21秒
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  日本基督教団は「プロテスタント教会」の集まりで「伝道師」という「牧師見習い」のような制度を設けています。私はこのような制度には、、、長橋さんのように実社会を生き抜き、余生を伝導に奉げる牧者(羊飼い)、もう一つの牧者への道は神学を青年時代から学び教会ひとすじの道を歩む牧者、どちらも日曜日の礼拝で20分余りの説教を「聖書」に基にしなければなりません。なお「カトリック」では「神父」と呼びますが詳しいことはわかりません。「プロテスト」とは抗議するという意味では?いずれにしろ「復活」を信ずるか否かがキリスト教信仰への入り口です。さて「大津早苗さん」の歌、次回は是非とも聴きたいと思います。旧勤務先の30有余年に及ぶ友人の奥さんが銀座の店で歌うので来て欲しいといわれ行きました。奥さんの歌 BILLY JOELの”New York State of Mind”に圧倒されたのも10何年も前のこととなりましたが、彼とは今でもスナックで英語の歌を歌いますが、私は酔って「あなたの歌は奥さんの歌とくらべるとまるでお風呂の中のオナラみたい」と言ったら、しばらくの間、交友が途絶えました。また話を混ぜ返してスミマセン。  

長橋さんとロンドンにて

 投稿者:高辻清長  投稿日:2017年 7月26日(水)23時38分20秒
返信・引用
  私も田上さんの投稿を拝読してすぐにURLを開き、長橋さんの懐かしいお顔とお姿を拝見しました。
長橋さんと言えば、我々が一年生の時の三年生で、委員長で学生服姿でメガネの奥からの柔和な目で我々下級生を見守っていただいていた方で、とても綺麗な正確な英語を話されていた先輩という印象です。
我々が入部してすぐにウェルカムハイキングというのがありました。どこへハイキングに行ったかは忘れましたが、ハイキングが終わって帰りにどこかの喫茶店に大勢で入り、鮨詰め状態で座りました。その時、委員長の長橋さんがお立ちになって、皆さんを見渡し、我々新入部員の名前を端から一人づつ呼んでいきました。数十名もいる新入部員の名前を殆ど間違えることなく、いい当てたというのに私は驚愕しました。恐らく、ハイキング中に新入部員一人一人に話しかけ名前を覚えていかれたのだと思います。長橋さんの記憶力の良さと真面目さが伺えたエピソードで、それが私の長橋先輩に対する第一印象でした。E.S.S.の総会毎の委員長スピーチで、その年度の英語会のスローガンである「Are you all out for English ?」をいつも唱えておられたので、そのスローガンを今でもよく覚えております。

上野が書いてくれているように、私は卒業後、長橋さんとはロンドンで二度ほどお会いしました。1995年の年末に私は化粧品関係でロンドンに赴任しました。赴任して暫くしてE.S.S.のどなたかからの情報で、長橋さんがロンドンに駐在されていることを聞きました。それでは、すぐにご挨拶に行かなければと思い、早速連絡をとりました。1996年の春頃であったと思います。長橋さんは中東(確かサウジアラビアだったと記憶していますが)での駐在から直接ロンドンへ赴任されたばかりの頃のようでした。「オフィスにいらっしゃい。お昼でもご一緒しましょう。」と言われ、長橋さんのオフィスを訪れました。大成建設のロンドン支店長をされていました。オフィスの近くのお寿司屋さんに連れて行っていただき、お昼をご馳走になりました。私の今までの経緯や何故ロンドンに来るようになったかのいきさつなどをお話しました。長橋さんはいつものやさしいお顔で熱心に話を聴いてくれました。手帳を取り出して、メモまでとっていただいたのが長橋さんらしく、印象的でした。私が48歳になったかならないかの時ですから、長橋さんは50歳くらいの頃だったと思います。

私がロンドンからパリに移ってから、いつ頃だったか覚えていませんが、ある時、ロンドンの長橋さんからお電話をいただきました。「欧州(英国だったと思います)に長く駐在されていた賀来さんが日本にお帰りになるので、送別の夕食会を開きたいと思っている。もし、あなたの都合がつくならジョインしませんか。」というお誘いでした。その頃、私はロンドンには1ヶ月に1度くらい頻繁に出張していましたので、出張スケジュールをうまく合わせて、長橋さんご手配の「賀来さん送別会」にジョインさせていただきました。賀来さんは私たちが1年生の時の4年生で有名な方でしたが、1年生から見れば4年生は“神様”的存在で在学中はあまり直接一対一でお話させていただいたことはありませんでした。という訳で、長橋さんのご手配のお陰で、ロンドンで、賀来さん、長橋さんと私の3人での夕食会が実現しました。いろいろなお話をしましたが、賀来さんは確かそれまで欧州系の銀行にお勤めでしたが、帰国後は日本の大学で教鞭をとられる予定と伺いました。

私が日本に帰って暫くして、どなたかから長橋さんについてお聞きしました。
奥様共々敬虔なクリスチャンでしたが、奥様がお亡くなりになり、長橋さんは日本キリスト教大学で学んでおり、牧師の資格をとられる予定ということでした。今回の田上さんのご投稿で、久々にWeb上で長橋さんと再会させていただきましたが、あの日野原先生の記念教会で伝道師をされているとは知りませんでした。

長橋さんらしい生き方を貫かれていると思いました。今後の益々のご活躍を祈念します。
 

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